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プロフィール |
Author:ローレライ何某
ローレライ何某と申します。 究極のオナニーを求め、日々自慰に耽っています。 オナニーに関して一切妥協はしません。
プレイスタイルは環境利用オナニー法です。 身近にある道具から食物まで全て利用して 快楽(キワミ)へ辿り着くことがモットーです。
ぜひ自分のオナニー方法が世界中の スタンダードスタイルになればと思っています。 そしていつかは独自のやり方を 「オナニカルメソッド」として発信できればと思っています。
日々のオナニーやエロスに纏わる 日記を綴っていきます。
2021年よりフランス書院様にて伏見京名義で 官能小説を執筆しております。
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ピアノオナニー≪後篇≫ |
≪前回までのあらすじ≫ 実家でピアノ教室を営む母の下で育った何某青年は、 母の目を避けるために、ピアノの音色が鳴る機会を見計らって オナニーに耽っていた。 その結果ピアノの音色からオナニーを連想するようになり ピアノの音色を聴くとムラムラする性癖を身につける。 そんな何某は皮肉にも音大生のピアノ科の恋人と出会う…。
何某は女性を目前にすると、極普通の男子になる。 それは自分の性癖、性欲が一般の女性では満たされないことを知っているのと、 女性を一方的な欲望の捌け口にするのが躊躇われるからだ。
音大生の彼女も例外では無かった。 彼女の奏でる独奏曲は何某の性欲を十分に満たすにこと足りていた。 彼女とピアノの連弾などをすれば何某のテンポもナニも先走るばかりであった。 何某のフラストレーションは日に日に溜まるばかりだったが、 好意を抱いてくれる女性の想いを裏切りたくなく、何某は好青年を演じていた。
-しかしその平穏も長くは続かなかった-
深い関係になるにつれ、 何某は「偽りの自分」ではなく「本当の自分」を 受け容れてもらいたくなった。 「真実の愛とは偽りの関係下には成立しない」 そう悟った何某はある夜、彼女にホテルにて懇願した。
「すまん、おれ今日◯◯ちゃんの前でオナニーするから、 演奏記号で命令してくれへんか?」 彼女は豆鉄砲を喰らった様な顔をしていた。
演奏記号とは、音の強弱を表す用語で とてもソフトに=ピアニッシモ、ソフトに=ピアノ、フォルテ=強く、フォルテシモ=とても強く といった類だ。
彼女は戸惑いながらも「ピッ…、ピアニシモ」と呟く。 何某は優しくナニガシに触れる。 彼女が全く状況を理解していないことは火を見るより明らかだ。 「はやくッ!次はッ!?」 何某の鬼気迫る表情に彼女も後には退けないと悟ったのだろう。 「フォルテ!フォルテ!!フォルテシモッッ!!」 命令通り何某は雄々しくナニガシをしごく。 絶頂が近づくにつれ、理性を失った何某は 「こんなもんじゃアカン!次は速度標語と発想標語を組み合わせて!」 彼女は観念したようだった。 「presto agitato!!!(=極めて速く激情的に)、allegro di molto!!!(=速くかつ陽気に)」 何某はこんなにもオナニーにバリエーションがあるのかと目から鱗だった。
音楽用語プレイを一通り満喫した何某は彼女に伝えた。 今まで自分を偽っていたこと、それをもう隠す気はないこと、 そして新たなオナニーの境地に立たせてくれたことへの感謝の言葉を。 そんな何某に彼女は 「本当のことを言ってくれてありがとう、嬉しいよ。最後の感謝の言葉がなければね。」と 脇にあったローションを投げつけ部屋を後にした。
それ以来だろうか、性を閉鎖的自己世界で追究し始めたのは…。 思えばローレライ何某が生まれたのはこの時からかもしれない。 オナニー界のダース・ベイダー誕生の瞬間だった。
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ピアノオナニー≪前篇≫ |
動物の条件反射行動実験のひとつである、「パブロフの犬」という実験をご存知だろうか。 ある犬にベルを鳴らしてからエサを与えることを繰り返した結果、 ベルを鳴らすだけで唾液を分泌するようになるという動物行動学の実験の一である。
さて、この条件反射行動は人間にも当然見られる。 一般的には、梅干を想像するだけで唾液が多量に分泌されるという例が挙げられるが、 オナニーの求道者である何某は特殊な条件反射行動を身につけた。 今日はそんな何某が青春時代にオナニーによって背負った「業」の話…。
突然であるが何某の母親は実家でピアノの先生をしている。 夕食時も入浴時もピアノの音色が聞こえてくる環境、 何某の幼少時代は常にクラシック音楽と共にあった。 しかし、いつの日からだろうか…。 何某にとってピアノの音色は淫靡な世界への誘惑のベルとなっていた…。
その要因は何某の飽くなきオナニーへの執着心と母への後ろめたさにあった。 さすがの何某とは言え母親にオナニーを目撃されることには抵抗がある。 しかし何某の性欲とは裏腹に母親は終日家にいるため 常に母親の厳しい監視をかいくぐりながら事にあたる必要があった。 そこで何某がオナニーを行うタイミングの指標としたのはレッスン中のピアノの音であった。 ピアノの音色が鳴り続けることは、母親がレッスン中であることを示し、 つまりは何某の絶好のオナニータイムであることと同義である。 この方程式が何某の中で組まれて以来、ピアノの音色を聴くたびに ここぞとばかりにオナニーに励んだ。
しかしその習慣により何某の音楽的感性は性欲に蝕まれることになる。 そう、何某はピアノの音色を聴くたびに反射的にオナニーを連想してムラムラするようになってしまったのである。 合唱コンクールの伴奏では、一人だけ前かがみになり先生に叱責され、 ピアノコンサートに参加すれば、パンフレットが卑猥に隆起することになる。 何某はベルで唾液を垂らす犬と同等のケダモノへと堕ちたのだった…。
そんなピアノの音色に日常を狂わされる何某に、 悪戯な運命は皮肉な出会いをもたらす。 何某は音大生のピアノ科の恋人と出会ったのだ…。
to be continued…
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擦らないオナニー ≪後篇≫ |
~前回までのあらすじ~ グラップラー刃牙の愚地克巳の「当てない打撃」にインスパイアされた何某は、 「擦らないオナニー」こそ真の快楽ではないかと悟り、開発にあたる…。
擦るという物理的刺激がない以上、自分のボルテージを極限まで引出さねばならない。 そこでまず台所からお湯を沸騰させ部屋の湿度を上げる。 むせ返る様な熱気で脳が揺れだす。 そして友人から拝借した女性ものの香水を部屋全体にふりかける。 香りが鼻腔を挑発的に攻め上げる。 さらにベートーヴェン交響曲第9番を大音量でかける。 壮大な合唱により自分の背徳的な行為全てが肯定された気持ちになる。
何某は座禅を組み、妄想を膨らませる。 思わず手がナニガシに触れそうになる。 しかしそれはご法度。 快楽とはナニガシだけで感じるのではなく、全身で感じるもの、 そう意識したとき、何某の中で何かが変わった。 沸々と腰の奥から流動体が湧き上がる感覚。 昨日までの自分が感じていた同一の感覚ではあるが、 はっきりと違うことが分かる。 悪戯な手によって導かれた快楽ではなく、内的感覚を研ぎ澄ます自発的な性感。 五感のオーケストラが絶頂というフィナーレを奏で、 気がつくと何某は初めて擦ることなき射精をしていた。
般若心境の一説に「色即是空」という教えがある。 我々はオナニーを「擦る」という概念で捉えているが、 謂わばそれは「色」であり、 本質のオナニーの仕方とは実体のない 「快楽」を求める行為に過ぎないのかもしれない。
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擦らないオナニー ≪前篇≫ |
何某の最も敬愛する漫画の一つに「グラップラー刃牙」がある。 様々なファイトスタイルの格闘家達が登場する格闘漫画なのだが、 その中に愚地克巳というキャラクターがいる。 今日はその愚地克巳から学んだオナニーを紹介したい。
愚地克巳は修行の末、マッハ突きなる高速の拳を習得するのだが、それをも上回る打撃を編み出す。 それこそが「当てない打撃」と呼ばれる奥義である。 この技の理論は鞭が最高速度に達するのは打撃の瞬間ではなく、 引き戻す瞬間という原理に基づいた衝撃波にある。 文字通り打撃を当てることなく相手にダメージを与えるのだ。
さて、前置きが長くなったが何某はこの技から閃きを得る。 何某は射精の瞬間、ナニガシを擦ることはない。 絶頂の瞬間は外部からの干渉を受けず快楽に身を任せたいからだ。 何某にとってのオナニーの醍醐味は自分の性が湧き上がることを実感することにあるのだ。 言わば何某にとってオナニーの真髄は自分の快楽と真摯に向き合うことであり、 外部から物理的刺激はその導入のためにあるに過ぎない。 さすれば最高の快楽とは擦るときではなく、己の性欲と対峙する瞬間にこそある、 という冒頭の当てない打撃の原理に基づくのではなかろうか。
そこで何某は擦らないオナニーに挑むことにした。
to be continued...
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カイロオナニー |
実は何某は未だにTENGA等のオナホールを使用したことがない。オナホールに否定的な訳ではないが、オナホールに頼った時点で自分のオナニーへの独創性が失われ、思考停止状態になることを危惧してのことである。
そんな何某のオナニーのテーマはいかに身近な日用品で快楽(きわみ)を感じられるかということである。 そんな何某が高校時代にリアルな女性器を求めた体験談を今日はお話したい。
まず何某は人肌を追求した。人間の体温36度。この温度を日用品で実現する必要があった。 日用品で発熱効果のある品を見つけることは困難である。 そんな折、何某が着目したのはカイロである。 カイロを36度まで温めれば人肌を再現することができる。 そこからは氷塊が溶けるようにアイデアが生まれた。 濡れたおしぼりをナニガシに巻き、人肌に近づけたカイロをガチガチにガムテープで縛るのである。
案の定、ナニガシは本物と見紛うばかりの快楽(きわみ)を見つけた。一心不乱にカイロを擦った。 が、それはつかぬ間の快楽であった。 擦れたカイロは更に高温を発し50度、60度とその温度を上げる。 何某は熱さに悶え、カイロを外そうと試みるが、ガチガチに固定したガムテープはそれを許さなかった。悲痛の表情を浮かべながらガムテープに切り目を入れたり、股間に息を吹きかけるが、焼け石に水。 何某は堪らず、ベッドをのたうち回った。
翌日の何某の股間は紅く、クラゲの様に膨れ上がった。
「改革とは常に痛みを伴うものである。」小泉首相は不良債権処理政策の際そう語ったが、オナニーにも同じことが言えるのではないだろうか。 我々も今一度オナニーに対する認識を変える必要がある。
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獣オナニー |
男子が初めて女性器を見るのはいつ頃だろうか。 早熟な男子であれば中学生で性行為を経験することも少なくない。
ただ以外にも何某が女性器を初めて見たのは小学3年生の時分であった。 それもパックリと大胆に大開きされた美しいピンクの女性器だった。 唯一特異な点を挙げるなら、それが人間ではなくニワトリの女性器ということである。 そう、私の女性器との初対面は鳥類の、それも鳥類の産卵シーンだったのである。
同世代の諸君であれば、「いきなり!黄金伝説」という番組をご存じだろう。 その中の企画でよゐこの濱口優が一ヶ月一万円で生活する企画があった。 その濱口のお供に「しゃくれ」と呼ばれるニワトリがいるのだが、 濱口は食費を浮かすためにニワトリに産卵させて、その卵を食べるという作戦に打って出る。 そして実際の産卵シーンが番組中にも含まれている。 製作側の意図としては恐らく、生命の神秘や命の尊さの意味を込めて ニワトリの女性器をアップにして卵が産まれる瞬間を編集したのだろうが、 何某少年に流れる性への探求心はそれを、性の対象と認識した。
今も何某は女性器を見ても、幼き頃に見たニワトリと比べてしまう。 何某はニワトリの亡霊に憑りつかれたニワトリの奴隷といえるのかもしれない…。
そんな何某の幼き日の悲しい出来事のはなし。
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人体実験オナニー |
何某はオナニストではあるが、一般的なモラルは持ち合わせている。 世間を賑わす反社会的な事件に憤慨することも多い。 殊、性犯罪については非常に遺憾に思っている。性とは尊い概念であり、欲望のままに性を濫用し、他者を傷つけることは性への侮辱である。
というわけで、何某は日夜自分の閉ざされた世界で究極のスタイルを 探し求めている。(そう言った意味では私は孤高の戦士なのかもしれない) そんな何某が今着目してるのは人体実験オナニーだ。 冒頭に話した通り、反社会的な行いや他者に危害を加えることは絶対しないのが私のモットー。 そこで私が編み出したのが、亜鉛投与だ。
亜鉛は男性ホルモンを促進し、滋養効果、特に下半身への活力を与えるのである。 (余談だが、牡蠣には亜鉛が多量に含まれていて、ヨーロッパ圏では牡蠣を晩餐に出すことは夜の営みを誘うことになるらしい。全くすけべなものである。)
そんな何某が服用するのはDHCの健康食品である。 基本的にサプリの類で健康維持をすることは信条に反するのだが、 オナニーのためとあっては別問題。まずはお手軽の一ヶ月用から始めることにした。
さて、その効果なのだが信じがたいことに 絶大なのだ。 突飛つすべきは、射精量。一回の射精は数回の波に分けて発射されるのだが、その波の回数が2倍はあった。 思わず口に両の手のひらをあてて「えー、まだ出るの!!?」と言いたくなる始末。 その後も液状に近い精液がシャーシャーと流れるのである。 もちろんティッシュには風穴があき、トクトクと白濁の液がマットに流れ落ちていた。
薬物に手を出すことがあってはならないが、 こう言ったサプリメントなどの健康ブームを逆手にとるのは乙なものである。
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五感を活用したオナニー |
何某は世のスタンダートなオナニーが視覚的刺激と触覚的刺激の2点のみで行われていることに驚きの意を隠せない。 むしろそれをオナ二―と呼称することすら片腹痛い。
神は人間に視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感を与えた。 絵画から色彩の粒を感じ取れるのも、音楽から牧歌的な情景を思い浮かべるのも 全て五感があればこそである。人間の感情や記憶は全て五感が根本にあることは当然である。
さればこそ至高のオナ二ーを求めるのであれば、その五感をフル活用することが道理ではないのか。
そこで私は視覚、触覚に聴覚を追加したオナニーに着手した。 むろんAVの「喘ぎ声」も聴覚情報にあたる。後ろでかすかに聞こえる車のエンジン音も聴覚情報にあたる。 しかしただ喘ぎ声という単調な音の記号のみでは満足出来なくなった。
そこでオッフェンバックの天国と地獄の序曲第3部をBGMにオナニーすることにした。 運動会等で有名なあの曲である。 原題は歌劇「地獄のオルフェ」のダンスシーンで使用される曲なのだが、 私の興奮を刺激したのはバックのシンバル音である。 このシンバル音と女性がバックで突かれてる情景が重なると、 なんとも滑稽な絵面が出来上がるのである。しかも作曲者がオッフェン「バック」なのだからたまったものではない。
この音に合わせて何某のナニガシをしごくと、 自分行為が非常に高尚な行いに思えてくるのである。
ぜひ皆さんも五感をフルに活用したオナ二―を開発していって欲しい。
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